学生時代にあがり症改善プログラムがあればよかったのに
自分自身があがり症なのだと確信したのは学生の時です。
過去には戻れませんが、当時に児島弘樹さんのあがり症改善プログラムが販売されていればもう少し違った青春時代が送れたかもしれないと思ってしまいます。
当時、私は運動や勉強が多少できたこともあり、下級生上級生問わず生徒内で多少の人気がありました。
先生からも頼られた存在だったと思います。
友達との会話も、授業中の本読みも得意な方だったと思います。特に意識せずともいつも通り普通に会話できていましたし、勉強だけでなく部活にも一生懸命打ち込んでいました。
部活動ではエース番号をもらい、大会に出場していましたが、緊張もしませんでしたし、なんなら他に緊張している仲間がいればその緊張をほぐしたりもしていました。
みなさんも経験があるかもしれませんが、
小学校から中学校にあがるにあたり、同学年の生徒数が一気に3倍になりました。
小学校時代は周りよりちょっと足が速かったり、少し勉強もできた方でしたが、中学生になったら足の速さも勉強も普通になりました。
自分を人気者と勘違いしていましたが、中学では私よりも人気の同級生がたくさんいましたし、人気者とは遠い存在になったと認知しました。
ついにあがり症がでてしまうことに〜あがり症改善プログラム
中学生になって、自分は普通になり、以前ほど人気もなくなり、注目もされなくなりました。
そんな中、先生に指名されてクラスメイト前で本読みをすることになりました。
これまで小学生時代にも授業で本読みをした経験はありましたし、どちらかというと得意な方でした。
本読みの時は心の中で先生に「自分を指名してくれ〜」と思ってくらいです。
だからこそ、いつも通り普通にこなしてやりすごそうとしたのですが、
自分が席を立った瞬間にクラスメイトが一気に静まり返り、変な緊張感が生まれました。
うまく言い表せないのですが、自分が自分でないような、はじめての感覚になりました。
一言目をなかなか発しない私に、クラスメイトからの視線が一斉に向けられました。
その時、私は手が震え、どもり、顔が赤くなりました。
周りのクラスメイトからクスクスと笑い声が聞こえてきました。
うるおぼえですが、声も震えていたと思います。
必死でその震えを抑えながら最後まで本読みを行いました。
あがり症のはじまり〜あがり症改善プログラム
良くも悪くも、私は周りからの評価や見方に影響されやすいのだと思います。
その一件で周りからの評価が落ちたと感じ、自己肯定感が一気に下がったのでしょう。
この頃の私は、自分で自分を評価するのではなく、周りの評価がすべてだと思っていました。
私のあがり症はこのようにしてできたのかもしれません。
本読みの授業終了後、同じ小学校だった友達が私のところに集まってきてからかってきました。
中学生はとにかくからかったりからかわれたりすることが多いですし、通常そこまで気にすることでもないのでしょうが、当時の私は人に言われたことを普通以上に気にする性格でした。
その日の夜、友人から言われた
「バカじゃん。あんなんで緊張するなよw」
「ダッセー(笑)」
「昔よりかっこ悪くなったよな」
という声が頭をぐるぐると回っていました。
当時の私はその出来事がトラウマのようになってしまいました。
小学生時代に少しチヤホヤされていたため自己認識で自分を高く見積もっていたからこそ、「ダサい」と言われたことが忘れられず、その内「お前はダサい」と自分で自分を攻撃し始めました。
私は30代であがり症改善プログラムを実践しましたが、もし中学生当時にあがり症改善プログラムがあればその時に実践したかったです。
あがり症は自然には治りませんでした〜あがり症改善プログラム
あがり症がでてしまうのは、大勢の前で発言するとき、少人数でもシーンとしている静けさの中で発言するとき、複数人の視線が自分に向けられたときなどです。
私は中学、高校となるべく上記のシチュエーションにならないように過ごしました。
それは大学にはいっても、社会人になっても変わりませんでした。
あがり症を治そうという気持ちよりも、どうしたら人前であがり症がでないように過ごすか、あがり症がバレないためにはどうすればいいか、そんなことばかり考えていたと思います。
あがり症が自然に治ればいいなとひそかに思っていましたが、治るどころかあがり症はより悪化していきました。
その一つに大学時代の授業で自分の化けの皮が剥がれたひどい経験があります。
基本的には中学生時代の出来事と同じです。違いと言えば英語での発表だったことです。
日本語だけでなく英語でもあがり症はでてしまいました。
これ以上詳細に書くとその時の感覚を思い出してしまうのでやめておきます。
いよいよあがり症を放ってはおけなくなる事態に
大学時代にもあがり症がでてつらい経験をしましたが、あがり症を改善しようとは考えず、どのようにしたらあがり症がバレないかを考える日々でした。
しかし、あがり症がバレなければいい、という状況ではなくなっていきました。
というのも、就職活動でもあがり症がでてしまい、第一希望とは程遠い会社の内定しかもらえませんでした。
こんなことを言うと就職した会社に失礼ですが(笑)。
今ではですが、この会社に就職してよかったと思っています(笑)。
会社に就職し、社会人になると、多かれ少なかれ仕事で営業やセミナー、上司との会議、プレゼンなどをする機会がでてきます。
私はあがり症を隠すために、出世をする為には避けられないことを避けるようになっていました。
社会人時代はあがり症を隠すことだけでなく、なるべく人と関わらないように生活していました。
当時はあがり症だけでなく、HSP、対人恐怖症、赤面症、SAD(社交不安障害)の症状もでていました。
友人との交流もほぼなく、異性との出会いもありませんでした。
どんどん引きこもりの状態になっていきました。
学生時代から特に仲の良かった、大切な友人の結婚式をも欠席してしまいました。
元クラスメイトのメンバーと再会したくなかったためです。
友人の人生に一度の大切な日よりも、自分が恥をかいたことを思い出したくない、また恥をかきたくないという自分勝手な理由を優先してしまいました。
今でも後悔しています。
このままじゃ何も変わらない…
あがり症をどう隠すかということばかり考えながら一生を過ごすことになるのか…
学生時代の友人ともう一度何も考えずに遊びたい…
仕事も恋愛ももっとがんばりたい…
自分はもっともっとできるはずだ…
私はあがり症でしたが向上心は残っていたのだと思います。
ついにあがり症改善プログラムを購入することに!
仕事以外で家から出なくなり、人との関りがなくなり、一生こうなのかと目の前が真っ暗になったころ、ダメな自分をどうにかしないといけないと、私はあがり症を改善するための方法を模索し始めました。
そしてスマホであがり症改の改善方法をGoogleで探し始めたところ、すぐに児島弘樹さんのあがり症改善プログラムを発見しました。
あがり症の克服に関してはあがり症改善プログラムが人気だったらしく、検索の上位にヒットしていたからです。その後、あがり症改善プログラムのレビューや評判、口コミを参考にし、「これならば自分にもできそうだ」と感じたことを覚えています。
外出しない、人と会わないという時期が長かった私にとっては、ネットであがり症改善プログラムを購入する事にさえ緊張しましたが、最終的にヒプノセラピーの方法を取り入れていることに興味がわき、購入を決意しました。
そして私はあがり症改善プログラムを実直に実践し、その結果、、
あがり症を大幅に改善することができたのです。
私はあがり症のほかに、HSP、対人恐怖症、赤面症、SAD(社交不安障害)の症状があったと書きましたが、あがり症改善プログラムを実践したところ、これらの症状にも改善の兆しが表れました。
特に、手や声や唇の震えが治まったことで、だんだんと発言することが恐くなくなり、人前に出ることが恥ずかしくなくなっていったのです。
その結果、それまでなるべくやらないようにしていた仕事での営業やセミナー、上司との会議、プレゼンにも積極的に参加するようになり、今では会議の司会、新人の教育もまかされるようになったのです。
ものすごい変化です。もともとの性格が積極的でチャレンジ精神があったためか、どんどん新しいことに挑戦していきました。新人の教育はやりたかった仕事なので、まかされたときは本当に嬉しかったです。
児島弘樹さんのあがり症改善プログラムの私の評価は星5つ中の5つです。
仕事だけでなく、プライベートでも以前の自分の性格がでてきて、友人や異性との交流も盛んに行っています。
仕事とプライベートが充実しているということは、すごく幸福感があがります。
自己肯定感も上げてくれます。
学生時代からどん底を味わっていてとことんまで下がり切った自己肯定感でしたが、あがり症改善プログラムであがり症を改善した結果、反動で一気に上まであがりました。
(あがりました、とあがり症のあがりをかけたちょっとした冗談です笑)
他にもあがり症克服のためのプログラムはありましたが、私が一番最初に購入したのが児島弘樹さんのあがり症改善プログラムで本当にラッキーでした。
他のあがり症改善方法を実践していたら、払わなくてもいい余分なお金、費やさなくてもいいたくさんの時間を浪費していたかもしれませんし、なによりもあがり症を改善できないまま人生を諦めていたかもしれません。